少し前に長男を出産した病院のインタビューを受けたというお話をこのブログでしました。
その病院では、ダウン症の親子を対象とした当時3歳まで参加できる(今は就学前まで参加できるようになっていました)定期的な集まりがありました。
うちもその集まりに参加していたので、“ダウン症児のファミリーケア”研究の為、今後の支援の質向上の為にインタビューを受けてほしいという要望があり、インタビューをお受けしてきました。
私の経験が今後よりよい環境作りに貢献できるのなら嬉しいなという思いがありました。
インタビュー内容は主に出産前後の病院の対応についてがメインでしたので、当時の事をインタビューを受けながら色々思い出しました。
私は長男を出産前、切迫早産で1カ月以上その病院で入院生活を送っていました。
毎日出来る限り安静にしていたのですが、結局早産で産んでしまい、長男はかなり小さく生まれてしまったので出産後は暫くNICUに入院していました。
なので、出産後私は先に退院して、毎日NICUに長男の面会に通っていました。
うちの長男がダウン症であるという告知を受けたのもNICUに入院している最中でした。
我が子がダウン症であるという告知を受けてからの数か月、あまりのショックで今思うとしっかりと生きているとは言えない状態だったと思います。
精神的にも体もボロボロの状態でしたが、それでも一生懸命搾乳を頑張って冷凍した母乳を毎日NICUに届けるという生活が2ヶ月近く続いていたと思います。
まだ障害を受け入れられていない状態での長男との面会はホント複雑な心境でした。
我が子をしっかり愛せるかさえもはっきり断言できないような精神状態でした。
そんな時に支えてくれたのがNICUでうちの長男の担当をしてくださっていた看護師さんです。
NICUで担当してくださった看護師さんの存在は大きかった
ダウン症と告知を受けてからの事は正直細かくは覚えていないんですよね。地に足がついていないようなフラフラな精神状態だったので。
でも、当時、担当の看護師さんに色々質問したり慰めてもらったりしていたのをよく覚えています。
最初はものすごく悲観的(絶望的と言っても過言ではないぐらいでした)にしか考えられなかった私でしたが、看護師さんの優しさ、明るさで少しづつですがだんだん前向きに考えられるようになったんですよね。
私がその方とのやりとりで一番はっきり覚えているのが、長男の将来に不安しかなかった私が「この子は普通の人のように将来結婚して幸せな家庭なんて築けないんだろうな・・・。」とポロっと口にした時の事です。
その担当の看護師さんは「え?私のダウン症のお友達には彼女いますよ!」と教えてくれました。
更に、「アメリカではダウン症の方で俳優している人もいるんですよ!」なんて事も教えてくれました。
我が子の将来を悲観的にしか考えられなかった私からすると、ものすごく衝撃を受けたのを良く覚えています。
「障害があったって、この子の可能性は無限大なんだ!!!」と前向きに考えられるようになったきっかけとなった言葉でした。
当時ものすごくショックをうけていた私と主人にとって、一番身近で親身になって優しく対応してくれていた彼女の存在はものすごく大きかったんですよね。
当時彼女にはすごく支えていただきました。
なので、長男がNICUを退院する時、落ち着いたら改めてその担当の看護師さんにお礼を言いに行こうとずっと思っていました。
なのですが、慣れない育児や私の体調の悪さ(産後のホルモンバランスの乱れにより甲状腺の病気を発症)で退院後は色々と大変でした。
まだ長男の障害をしっかり受け入れられてもおらず精神的にも不安の中での育児でした。
その後仕事に復帰してからはもっと大変で、毎日バタバタな生活を送っていました。
その病院には小児科もあったので病弱の長男をよく連れて行ってはいたのですが、体調の悪い子をNICUに連れて行くなんてもちろん出来ないので、その病院にはよく行っていたけれどその方のいるNICUに立ち寄る事はなかなか出来ませんでした。
そんなこんなで、その方のいるNICUになかなか改めて挨拶に行けないでいました。
挨拶に行けない大きな理由の一つに私の心がまだ落ち着いていないというのもありました。
私にとっては我が子の障害を本当の意味で受け入れられるようになるまでには本当に時間がかかったんですよね。
保育園では辛い思いも結構してきたので。
>>ダウン症の子を保育園に入れる苦労・・・仕事との両立はホント大変でした。
自分はダメな親だとずっと思っていました。
それが、次男が生まれて自分も普通の親なんだと少しづつ自信がついてきたり、長男が特別支援学校に入学して子供にだけではなく親にも理解のある環境に入れた事で私の心もだんだん落ち着いてきました。
なので長男が小学生になってから、とうとうその担当して下さった看護師さんに改めて挨拶に行きたいとやっと堂々と思えるようになりました。
でも時すでに遅し・・・その方は他の病院に移動してしまったと聞かされショックを受けました。
そりゃあ当時から10年近くたってるからあり得る事ですよね。
いつも通っている病院だけに、その方とはいつでも会えると思っていた私が甘かったです(*_*;
そんなこんなで、当時一番お世話になった方に会う手段がなくなってしまっていました。
インタビューがきっかけで恩人と連絡がとれた!!
話を元に戻しますが、通っている病院でインタビューを受けていた時、当時を色々と思い出し、そのNICUで担当をしてくださっていた看護師さんの話しになりました。
改めて挨拶をしようとした時には既に移動されていて会えなくなってしまいすごく心残りなんですというお話をしていたら、インタビューをしてくださっていた看護師さんが
「12年前に勤務されていた方ですよね・・・。もしかしたらなんとか見つけられるかもしれません!!」
と、おっしゃってくださったんですよ!!
そして、インタビューが終わって帰る時にも「その方をちょっと探してみますね。」と言って下さりました。
それが先月頭の話です。
つい先日、そのインタビューをして下さった方から「当時の担当看護師さんを見つけました!」とお電話をもらいました!!!
私的にはもうだいぶ前の話だったので諦めていただけにホントビックリ!!!
そしてその方の計らいで当時の担当看護師さんと連絡がとれたんですよ!!!!
もう大感動でした~
嬉しくってすぐ連絡しちゃいました(笑)
当時の感謝を伝えたり現在の長男の写真や動画を送って「あんな小さかった子がこんなに大きくなりましたよ!!」って報告が12年越しでとうとうできました(^^)
その方はもう都内にはいらっしゃらなかったのですが、機会があったら長男を連れて会いに行きたいなと思っています♪
こんな事ってあるんですね~!
私にとってものすごく感動した出来事でした
うちのパパもその方と連絡が取れたと話したらやっぱりすごくよく覚えていて、会いたがっていました(*^^*)
私の恩人を探してくれたインタビューしてくださった方にホント感謝の気持ちでいっぱいです




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